太宮神社おおみやじんじゃ

 

法人格/旧社格

法人/村社

鎮座地

茨城県かすみがうら市安食1071[Google Mapで表示する]

境内地

416.7坪 (境外地)914.5坪

御祭神

おおみやひめのみこと
大宮比売命
くにのとこたちのみこと
国常立尊
ににぎのみこと
邇邇芸命
くにのさつちのみこと
国狭槌命
たかみむすびのみこと
高皇産霊命
かみむすびのみこと
神皇産霊命
あまてらすおおみかみ
天照大御神
あめのおしほみみのみこと
天忍穂耳命
たけみかづちのみこと
武甕槌命
ふつぬしのみこと
経津主命

特殊神事

古来、旧9月19日を中心に流鏑馬祭が行われた。その後10月18・19・20日となり、18日を宵まち、19日を本まち、20日をタカハライといった。まちには、神馬と馬方(とも)を選んだ。馬方(とも)には独身の青年二名を選び、一週間前より、宮下集落前の菱木川橋のたもとで、毎朝明けに禊をして身体を清め、馬は祭が済むまで農作業には使わない習わしであった。本まちの日、馬方は、神社から借用した股引、浴衣状の装束を着用、たすきを掛けて正装する。馬は、たてがみを紅白の水引で結び、色つきの幣束を立てて走り、見物人は、松の葉を馬めがけてぶつけて馬を追いまわす。走り終わった馬のたてがみの幣束を奮い合って取り、馬小屋に飾って馬の健康と五穀豊穣を祈った。また、1月20日には、20日正月の湯たて神事が行われた。現在は、どちらも行われていない。

御由緒

神体 青銅鏡。大同元年正月2日創建。保元元年2月7日本社造立、天正2年正月修理の棟札がある。この地はもと安食氏領であったが、永享7年に梶原氏知行地となり、さらに菅谷氏領に変わった。代々当社への崇敬が厚かったが、佐竹氏の南三十三館討伐の戦に菅谷氏は滅亡し当社も荒廃した。寛文3年12月13日、神主宮本掃部頭家重の時鳥居を建立し、延宝4年4月15日に本殿、拝殿を建立した。天和2年には、神主宮本加賀守家長が境内に牛頭天王、天神宮、富士浅間、沼三社、八幡社を遷した。貞享元年水戸藩から樅木三千本の下付があり、境内に植樹した。元禄3年9月瑞垣完工、同4年の徳川光圀公の参拝の折に、神主に種々下問があったのに対し、「古来大宮」社号のことを答申し、改めて安食、柏崎、岩坪、堂山、成井横町五ヶ村の総社とする公命があった。社領除地高田5石2斗3升1合、同5年秋神楽所建立。正徳3年8月御輿、岐奴賀佐造立。享保7年本殿、拝殿、神楽所の屋根を葺替え、同9年施主武内仙衛により宝蔵を建立。同14年鳥居瑞垣を修理、明治6年村社に列格。大正3年10月5日(第464号)供進指定。昭和27年10月6日宗教法人設立。昭和8年本殿屋根を銅板に葺替える。昭和57年拝殿及び鳥居を修復。昭和60年瑞垣を修理。平成3年幣殿を改築。

施設

本殿 神明造銅板葺3.0坪
幣殿 銅板葺2.5坪
拝殿 入母屋造銅板葺8坪
両部鳥居 木造1基
宝物殿 石造1棟
神輿舎 木造1棟

写真

拝殿
本殿
社号標
参道
拝殿正面
本殿
本殿
奉納された錨
参集殿