息栖神社いきすじんじゃ

 

別名・俗称

息栖大明神、明神さま

法人格/旧社格

法人/村社

鎮座地

茨城県石岡市川又1274[Google Mapで表示する]

境内地

980.7坪(境外地)原野及び田 860坪

御神木

杉 樹齢約500年、幹周1米30

御祭神

すみよしさんじん
住吉三神
すみよしさんじん
住吉三神
すみよしさんじん
住吉三神

特殊神事

(古来の神事)旧2月8日に朝日の実ろく祭・朝日の井・東の井・みかの井・宮の井・多岐の井・入日の井の六つの井戸あり、古来より五穀の種子と水とを神前に供え、五穀豊穣を祈願した。

御由緒

神体 金幣、神鏡(銘・中原攝津守光重)。人皇十代崇神天皇8年2月7日創建。上古、天乃穂日命の裔、天乃夷鳥命の命に依り、其の子、鳥船比古命、此の地を開拓井戸を掘ったところ、地底よりカキ貝が多くでた為にカキ平の地名が付き、その名は現在も残っている。さらに其の子、鳥羽命開拓を続け、其の子瀑布河麻多比古が当地の人祖となった。六代多岐麻呂は崇神天皇8年2月7日祖霊を祀り、現在の所に底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の神を奉斎した。当時は太平洋の入海で鳥羽の海と称していた。人皇十二代景行天皇の時、日本武尊東征中海大荒れとなり、行方甲岬に上陸転戦しながら鳥羽の海、現在の川又に上陸した。その折の海難を救った神であるとして、里人は鳥羽の神、船人の神と尊称した。大同2年2月、三十一代多伎比古が遷宮祭主となり奉仕再建した。仁和2年神階をうけ、文禄2年3月に火災にあったが、慶長元年丙申秋再建。五十九代、保斗里が祭主奉仕した。寛延4年4月神祇官領卜部兼雄より神位を賜り、息栖神社と改称。明治5年村社に列し、(共進指定第300号)昭和59年3月社殿を改築した。1日、15日、28日の月三度参りは百難除とする信仰がある。

施設

本殿 流造木羽葺4坪
幣殿 拝殿 向拝(一体構造) 銅板葺24坪
明神鳥居 1基(建立年代不詳)
燈篭 2基(昭和12年11月15日、関武治郎)
碑 (大正4年御即位記念)
手洗石 (慶応元年)
社名標 1基(昭和59年4月)
拝殿幣殿改築記念碑 (昭和59年4月)
避雷針 1柱
竣工記念碑 (昭和62年 茨城県知事 竹内藤男書)
電氣水道設備、手水舎銅板葺1坪

写真