日先神社ひのさきじんじゃ

 

別名・俗称

摩利支天さま、旧社名丸四天権現宮

法人格/旧社格

法人/村社

鎮座地

茨城県土浦市右籾2202[Google Mapで表示する]

境内地

3250.97坪

御神木

杉 樹齢400年 幹周3.96米

御祭神

たけみかづちのみこと
武甕槌命
ふつぬしのみこと
経津主命
つきたつふなどのおおかみ
衝立船戸大神

配祀

とようけひめのみこと
豊宇気比売命

特殊神事

(古来の祭祀)湯の花祭 4月1日(湯立神事を厳修、使用した竹と64本の弊を氏子崇敬者競って拝戴、苗代や畑にさし立て病虫害除けにした。)

御由緒

天喜5年12月安倍氏征討の源頼義、義家の軍団が当地の西峰山高野寺に宿営、義家は志多長者宅を陣所とした。夜霊夢に、式神三神が騎馬で枕頭に立って「汝を待つこと久し、今汝に力を添へん、必ず賊を平げ、名を天下に輝かせん」と告げた。不思議に思い、翌朝父に話したところ、父子ともに同じ夢であったので、高野寺の長老と志多長者常祐に尋ねた。早速鹿島神社の祀職宮本権太夫を呼んで事の由を話すと、「鹿島・香取・息栖の三神なり」と祀職が申し上げたので、頼義父子は大いに喜び、とりあえず日光の峰の御祖神の傍に丸太4本をならべ、四方に青竹注連をはり、賊徒平定の大祈願祭を厳修した。康平元年11月その場に社殿を創建、丸四天権現宮と尊称、三神を鎮斎した。棟札に造営宰主志多長者常祐、別当西峰山高野寺尊海祭主宮本権太夫清高、同榊原権五郎清常とある。康平6年征奥の大任を遂行した源頼義父子は当社に甲冑、剣、弓を奉納して報賽の誠を捧げた。翌7年から軍陣祭を行い、当社から石経塚に神輿が渡御し、供奉者は各甲冑をつけたという。中家郷信太庄の鎮守として崇敬された。丸四天権現宮はいつしか摩利支天権現、又は摩利支天神社と俗称された。延喜4年藤右衛門の尽力で境内接続地の開発をはかり、神田をつくり、後世祭事用に供せしめた。明治4年5月日光神社と改称。同5年10月右籾、摩利山神田、中村、中村西根、乙戸、荒川沖、荒川本郷、沖新田、以上八ヶ村の村社となった。大正元年12月摩利山神田、無格社稲荷神社、同2年2月乙戸、無格社鹿島神社及当社境内七社を合併。同3年12月24日(第580号)供進指定。昭和27年10月6日宗教法人設立。古来諸災病難消除の神として信仰され、殊に伝染病予防に当神社絵馬借用の例がある。門口又は家の出入口に絵馬をかけておくと悪疫が侵入しないと言い伝えられ、報賽には絵馬1枚を増して返納するという。

施設

本殿 流造銅葺1坪
幣殿 トタン葺6坪
拝殿 トタン葺15坪
木造鳥居 1基
社号標 1基(昭和15年11月 田村三千蔵)

写真

正面鳥居
社号標
参道
拝殿正面
手水舎
本殿
境内社
御手洗池跡地
北参道鳥居
奉納された扁額
参道
境内公園
境内
本殿